note:ひとつとして同じ触れ方はない—コンタクト・インプロヴィゼーション

坂本公成+森裕子とカティア・ムストネン、それぞれのコンタクト・インプロヴィゼーションのクラスを受講した。私にとってコンタクトを集中的に学ぶのは、2008年に坂本+森両氏によるコンタクトの定期クラスを受講して以来でとても久しぶりのことだった。コンテンポラリー・ダンスやダンスそのものが自分にとって未知の存在だと感じていた頃のことで、様々なワークショップに参加し、その度に異なる驚きや発見をしながらダンスとの出会いを重ねていた。そんな当時は、コンタクトのワークで他者と体を密に接し合うということへの戸惑いや、ダンスの場と日常では他者との身体的距離感がどうしてこうもちがうのだろうという素朴な疑問を抱いていた記憶がある。また、コンタクトのことをダンスというよりも「コミュニケーション」の類いとして捉えていたような気もする。あれから9年が経ち、私のダンスへの眼差しは変化している。

今回ワークショップを受けて一番大きな発見だったのは、触れるということには実に様々な仕方があって、ひとつとして同じ触れ方はないということだ。受講したどちらのクラスにおいても、講師は触れたときに生じる圧力、質感、方向性、接点、面積、これらの組み合わせからなる動きをダンサーに明確に示し、ワークをする者どうしがそれを共有するようにしていた。この触れることから生まれる動きのバリエーションがなんと多いこと…! たとえば、押し合い、引き合いなど、力のかけ具合や接点またはベクトルが分かりやすいものや、空気人形のように膨らんだ体に針を指し一瞬のドロップを生むようなむずかしいものまである。回を重ねるごとに触れ方やそこで生ずる反応はより細かな肌理の違いになってくる。また、一見すると別のワークでやったことと同じように見えることも、その触れ方にはわずかなちがいがあった。その細分化された感覚を味わうことはやさしいことではない。それゆえ、やわらかい体を準備しておく必要があるからなのだろう、多くのワークは、動く人が触れられたところにより意識が向きやすくなるよう、目を閉じることからはじめられた。 様々なワークを、毎回相手を変えてやってみる。セッションはいつもうまくいくわけではなく、ペアが変わるとそれまでできなかったことができたり、またその逆であったり。長い時間をかけても掴みきれないままのこともある。触れることが細やかな情報の伝え合いだということを忘れて無我夢中になると、互いの体で紡ぐ「会話」は擦れ違いの連続…になってしまう。なので、ワークのポイントを共有し合うことは大事で、互いの動きを、身体だけでなくあえて言葉を用いたやりとりで確認し合うこともした。セッションをつづけるうちに即興で動きのバリエーションが生まれ、展開され、自分と相手の体重の掛け合いや引き合いからダンスのグルーブ感が出てくる。こうした踊る身体に生じるセンセーションはコンタクト・インプロヴィゼーションの醍醐味のひとつだろう。でもそれだけでなく、うまく乗らないとき、なんとかして流れを作ろうと焦ったり藻掻いたりする、そんな一期一会の踊りだってある。コンタクトにかぎらず、即興には「待ち」の時間、一見すると停滞の時間に感じられるような場面もある。踊りのセンセーションは、そう簡単にやってくるわけではない。ときには「ねばること」もアリではないか。

一つとして同じ触れ方はない、ということを毎回あたりまえのこととして行い、また受け入れつづけることはむずかしい。踊りに限らず日常生活においても、それに触れるという行為に慣れてしまうと、最初の感覚が遠のいてしまう。さらに、自身や他者、ものに触れることが無意識のうちに行われ、触れることが心の拠り所になっていることさえある。カティアのナビゲートによりペアでマッサージをする際、「人に触れる前に自分の体に触れて」という彼女の声掛けには、はっとさせられた。自分の体にどんなふうに触れているのか、またそのとき自分の体に何がおこっているのか。触れる/触れられている、その両方を行き来し、体の内部の感覚に意識を遣ること。これもまたダンスの現れ、おこりなのだ。

「暑い夏」からおよそひと月が経ち、こうしてワークショップを振り返っているわけだが、ともに踊った相手の身体や表情、触れたときの体重のかかり具合やその反応が断片的に思い出される。そういえば、9年前に初めてコンタクトをしたときに一緒に踊った人と、今回ふたたびペアになったとき、過去にその相手に触れた感覚が、身体の記憶として私のうちに甦った。そのとき、触れることを通して、私の体は相手の体と再会しているような感覚を抱いた。触れたことが、フラッシュバックのように自分の過去と現在の記憶を結びつけるというのは、どういうことなのだろう。触れる以前に体の内部でおこっている感覚が、触れ方としてのその人らしさを形作っているのだろうか。私の身体に、また新たな問いが巡りはじめている。

*京都国際ダンスワークショップ2017のスカラー受講を終えて書いたレポート